すみません。キーワード「イラク」で来た人がたくさんいるのに、こんな瞬発的なコメントしか書いてなくて。当然私などにはなにもかもわからないことだらけだけど、憤りは感じ続けているので少しだけ言葉を足しておきます。


1.(言葉は奪われっぱなし)
こういう重大な事態が起きたときほど真実はものすごい勢いで隠されてしまうせいで、疑いばかりを持たされて、発すべき言葉がどんどん汚されていく、ということがまずなにより悲しい。

2.(自戒をこめて)
イラクの側もアメリカの側もそれぞれに正当な理由を持っていると信じながら暴力を行使しているのに片方だけがテロリストだと言われつづけていることが腑に落ちないのと、あまりにも日本政府とアメリカ政府にイライラさせられているのとで、なんとなくイラクの側の暴力が本当に正当なものに見えてきてしまうから恐ろしい。でもそれはやはり間違い。心の中で小さくでもいいからとにかく暴力にはNOと言い続けること。それができなくなってしまったら、この地球で生きることを放棄したも同じ。もうこのままでは終わらないだろうな、という絶望に出会いたくない。自分本位だろうか。でもそうでなければもうただただ刹那的に生きるしかなくなってしまう。

3.(誰かが絶対的に正しいなんていうことはありえない)
ジャン・ルノワールという映画監督が映画の中で何十回も言っているように、「だれもがそれぞれ別の道理をもっている」ということからまずは出発しないことにはなにもかもがうまくいく気がしないし、たとえうまくいったかのように見えたところで嘘で固められたインチキな世界が続くばかりになるように思う。だいたい、イラクの側と上に書いたけど、イラクにもいろいろいろいろありそうでわけがわかっていない。とにかくひどく手に負えないばらばらの状況とそれでもなんとか長くつきあっていくことの知恵を人間は共有できないものだろうか。