しつこく電気グルーヴ

思い出は歴史に。と思って引用してみたんだけど、このまりんコールの話って、1994年5月のライブの間違いじゃないかな。私あの一連のライブみんな観てるんだけど、1993年の夏といえばマイケルの家のちかくに滞在してた頃だからこのツアーは行けなかったんだよね。東京ドームのANNイベントにも行けなかったし。そのかわり子門'Zポスターもらったけど(オールナイトの企画で、ほんとは返さなきゃいけなかったんだけど返さなかった)。

そんな状況を図らずも象徴してしまった事件がこの頃起きた。1993年8月17日のライブ@神奈川県民ホールでの出来事。序盤の数曲に続く最初のMCパートで卓球と瀧が喋っていると、客席の一部から“(まりんにも喋らせて〜!まりんの声が聞きたい〜!という意味合いであっただろう)まりんコール”が起こった。このファンのリアクションに萎えた電気の3人は、以降の曲をMC一切無しでやりきる。「この時は本当に(電気を)やめようかと思った」と後に3人は述懐する。そして同年8月24日の千葉県文化会館及び31日の浦和市文化センターのライブでは、セットリストにインストの新曲が急遽追加された。おそらく一週間程で作られたであろうこれらの曲は『Vitamin』収録曲“Disco Union”“Stingray”“新幹線”“Snow And Dove”の原型である。

これは1994年の時点で電気が文化センターなんかでライブをやらざるを得なかったこと自体が不幸だったとしか言いようがない話だと思うのだけど、当時私はファンクラブという便利なものに入っていたので、まりんコール事件のあったライブ(正確には1994年5月3日の浦和市文化センターだと思う)の時は結構前の方の席で観ていて、後ろの2階席の方から「まりん!まりん!」というのが始まったので、なんだなんだという感じで後ろを振り返って眺めていたのはよく憶えてる。
時期的には、ちょうどその4日前にオービタルが初来日して渋谷のON AIRでの伝説的ライブをやっていて、そこで卓球は客入れ時間にDJをやっていたという頃。
でもそんな深刻になるほどのこととは思わず(そりゃこっちはただのミーハーなファンなだけですから…)、続けて普通にライブ観に行ってたら、ノンストップでMCは当然なくて、インストが増えて、鬼気迫るというよりも息苦しいライブになっていって、最後は卓球が全裸になって終了。というツアーだった。
既に「VITAMIN」が出ていて評価もされていたとは言え、当時電気のライブに来ていたのはUNICORNファンともかぶってるような女の子が多かった。あとキューティーギャル!! だからまぁそんなにショック受けてもらってもなぁと普通に思っていた気がする。
だから93年の夏というのは、卓球がロンドン行って衝撃と刺激を受けた勢いで、曲をわーっと作ったとか、そんな流れではなかったかな。