ジャン・ルノワール「素晴しき放浪者」1932年/仏

シネマテークにて。今日のフィルムは、シネマテークが持ってるフィルムから2000年に作られた保存版。
こんな映画が存在すること自体、もう信じられない。と、観てるそばから、あごが緩む。これ以前にもこれ以後にも、映画の真ん中には決して置かれることのないようなものばかりで出来た映画。ルノワールののこした、まぼろしみたいな芸術作品。
少し前、東京で、忙しいさなかに無理矢理観たら、主人公の放浪者ブーデュ(ミシェル・シモン)にいらだつばかりで楽しめなかったという残念な記憶とともに何年もあったこの映画。そんなはずはない、と思って気持ちを新たに観てみたら、案の定。シネマテークの大画面で観られたことも何よりだった。
決して誰にも予想できない、ミシェル・シモンの全ての動作に敵うものなし。そんな彼に振り回されているようでいて、実はそうでもない他の登場人物たちのふてぶてしさも負けてはいない。誰かが主でだれかか従であることもない。何が起ころうと、全ては堂々と、もっともらしい動きを見せる。
これがルノワールの世界。でもパリにいると、日本から遠く憧れていたものが、ずいぶん近くに感じる。来てすぐに気づいたことだけれど、ルノワールのものだと思っていたものの中には、この街自体がすでに持っていたものもたくさんあったのだった。
よく分からないながらも日本の常識になんとか合わせようと苦労していたときの視点と、パリでボエームやってる今の視点がまるで違うのも当然のこと。そして思うのは、水に落ちて一度あっちの世界へ行ってみたけど、再び水へ落ちて陸から上がってみたらやっぱりこっちだったというのは、ブーデュそのまんますぎるけど、まあそういうことなのかも知れないと思う。どこへ続くとも知れないブーデュの歩みに励まされ、案山子の服着て私も行こう。
映画の後、ビブリオテークでアンドレ・バザンジャン・ルノワール』からこの映画の箇所を拾い読み。こうやってフランス語で読める日が来るとは我ながら驚き。バザンのフランス語は難しいけど、ルノワールのことを書いているものなら楽しく読めそう。嬉しい。家に帰って日本語でも読んだ。フランス語版もぜひ手元にほしい。
http://www.cine-studies.net/r5a0_1932_03.html
http://www.cine-studies.net/r5a0_1932_03p1/index.html