ストローブ=ユイレ「ルーヴル美術館訪問」2004年/仏・独・伊

今日こそ黄色い服だったJDのシネクラブにて。ナレーションをしたジュリーさんも会場に。
45分ほどの作品が2バージョンくり返されるというものだった。なにも知らずに観た私を含む観客は、いったんクレジットも出た後でもう一度同じものが始まったと思って少し動揺。そこで退出してしまった人も結構いた。しかしJD先生は静かに見続けている。1つめと2つめの違いもよくわからぬまま見続けていると、同じ映像に同じテキストの朗読が続くのだけれど、体験としてはまるで別ものであることに気付く。
「ルーヴルの訪問」と題されながらも映像の中に現れるルーヴルは、物音もなく、ただ限られた数点の作品が背後にわずかにみえる壁とともにフィックスで切り取られるばかりで、その数少ない選ばれた作品のなかには今ルーヴルで観られないものが登場したりする(鋭い人はここで何かに気付く)。あきれるほど騒がしく巨大な今現在のルーヴルを身近に知っているパリの人々には、少なからぬ驚きをもって迎えられる映像だと言える。このラディカルさに振り回され、ただ映像と声を追うばかりで1つめを見終えようというころで、このナレーションがセザンヌが語った言葉として書かれたテキストの朗読であることを知らされる。最後の言葉は、「Je suis Cezanne」だった。
そして2つめが始まると、それはそれで驚かされるほど余裕を与えられた心地の良い時間がやってきた。次はあれでしょ、そしてこう言うでしょ、と先を知りながらの鑑賞。ここで示されているのが何であるのかも、スタイルの目新しさにも既になじみとなり、そこで何を観ておきたいかもすすんで選びとる自由は自分の目の側にある。
よくよく観て聴いていると、確かに映っているものもショットの流れも同じだけれど、前のものとは少しずつショットの長さが違っていて、ナレーションも別バージョンであるようだった。映画のあとでJD先生が解説してくれたように、1つめでは挑戦的でたたみかけるような調子だった声が、2つめではそれがおちついた調子になっていて、こうやって2回繰り返して見せるという仕掛けの意図がそこにはっきりと示されていたのだった。
新たなものとの出会いの緊張と、その後の融和と。シンプルながらも、美しい作品。