ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』2007年/スペイン・仏

id:SomeCameRunningさんのこちらのエントリーで知ったこの映画、パリでも先月からかかっていたらしくまだぎりぎり上映中でした(土曜の午前のみ一カ所で)。Le mondeの紹介記事を読んでみたところ、都市とか徘徊とか空間に積み重なる時間だとか、自分の日々のテーマとも重なっていたので、飛びつくようにして観にいってしまいました。以下は読みたい人だけ、どぞ。
題名にも現れているように、これはネルヴァルの中編「シルヴィ」を下敷きとした映画で、劇中でもちらっと「シルヴィ」の文庫本が出てくる。ヨーロッパ人文系の世界には今も昔もこの「シルヴィ」が大好きと言う人がけっこういるようで、かく言う私も読んだその週には「シルヴィ」の世界に触れたくてそこで言及されていた古い街(サンリス、シャンティ)へと行ってみたのだけど、このスペインの監督は、シルヴィ(シルビア)の幻影を追い求め、現代のストラスブールの街を彷徨う青年を映画の中に描くということを試みていた。小説「シルヴィ」の特徴である複雑な時間構造は現れないかわりに、ブレッソンの『白夜』みたいに「第一夜」「第二夜」と区切りながら真っすぐ進む。けど『白夜』のような物語は形成されない。季節は夏。交わされる言語は基本的にフランス語。たまにドイツ語。英語、スペイン語もちょっとだけ聴こえた。カフェのテラスでひしめき合う人の姿と声の重なりを、さらにカフェやトラムの窓ガラスにうつりこんで2重に重なった姿を、この映画はとらえる。ストラスブールは行ったことがないので、夏に訪れたリヨンのオペラ座近くで座ったカフェのテラスを思い出した。女性たちがいたるところで肌をあらわにし人目にさらすのも、短い夏の間だけ。青年の手元にはモレスキンのノート。映画を観ている私の手元にも、ほぼ同じものが…。クローズアップされるのはその青年と視線の先にある女性たちであるけれど、その周りに実際いる/ある本物の人や街の姿を描くことにも気を配っている。もの売り、物乞い(Une piece svp!)、タバコをほしがる若者、やたらと太った人、学校帰りの子供たち、などなど。そんな視線へとつながるであろう同じ監督の数年前のドキュメンタリーも先週までかかっていたのだけどそれは終わってしまった。と、あれこれ魅力的で、今の自分にはとても身近に思える着想がいくつも重なってできた、じつにヨーロッパ人文系な映画でありました。これが好きだというエリセはきっと、永遠の文学青年なんだなあ。と思った。永遠の映画青年でもあるけど。あの純粋さにかなうものなんて、ない。