エリア・スレイマン『Le Temps qu'il reste』2009年/仏・パレスチナ

イスラエルのナザレを舞台に、スレイマンの父と自身の半生を描いた喜悲劇。言ってみれば、スレイマンの『ペルセポリス』。イスラエルにいながら一体どうしたらこういう映画が撮れるのか、不思議でしょうがない。こちらは実写だから、おそらく山のような無理難題を乗り越えて作られたにちがいないと思うのだけれど、そういう苦労をおくびにも出さない軽やかさが全編つうじてある。のっけからずっと、場面場面、もうそれだけでなにか作品として成り立ちそうな濃厚さと魅力をそなえていた。笑いの要素なしには直視しがたかった過去が遠のき、現代へ至ってスレイマン自身が登場すると、それまでのコミカルな調子はややおさえられ、いまも続く現実に対するシニカルさが前に出てくる。映画終盤では、スレイマンの寡黙で笑顔のない表情と、度々向き合わねばならなくなるのだった。
映画前半の主役、スレイマンの父親役として、どこからきたのかもうびっくりするようなハンサムガイが出てきた。それも実はギャグなんじゃないかと疑ってしまうほどの。そのまま西部劇で主役をはれそうな彼の、容姿、体つき、身のこなしが、見事に映画に安定感を与えていた。彼が画面を去ると、入れ替わりでスレイマンが出てくる。映画の雰囲気がそこでがらりと変わったのも、当然だ。